自律して勉強するために辞める生徒

開校してわずか1年ですが、それでも様々な経験をさせてもらい、いろいろと考えさせられることも多くあるものです。
先日、ある高校生の生徒が退会しました。
「当校に通うようになって、英語の勉強の仕方が分かった。これからは自分で家で勉強できるように思うので、それを実践してみたい。やっぱりダメで戻るかもしれませんが。」
これがその生徒の退会理由でした。
生徒が辞めるのは残念ではありますが、それを聞いた時は妙に嬉しくなりました。
確かにこの生徒は、入会当初は成績も振るわず、何をしたら良いのか全く分からず、こちらがやるべき事を指示して、できたところをチェックして、解っていないところは丁寧に解説して、ということをずっと続けていました。ところが、そのおかげで定期テストの結果がぐんと跳ね上がると、こちらの指示を待つことが減って来ました。自信がついたのが見ていて判りました。席に着くと自分から学習を始め、解らないところを質問するようになってきました。
英語の実力としてはまだまだのところがあることも確かなので、それを話して引き留めるという対応もあったかもしれません。しかし、そうはしませんでした。
「とても良い決断をした。自分で考えて勉強することは、塾に通って成績をあげるよりずっと難しいかもしれないけど、はるかに大切なことだ。自分でその決断をしたことには胸を張って良い。」
そういう話しをして笑顔で送り出しました。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
生徒の成績を上げることが塾の使命ですし、そのためには通い続けてもらうことが重要です。
それが売上に影響することも確かです。
でも、自分の力でやってみようと思う生徒の背中を押してあげることは、それよりももっと大切なことだと思います。
この生徒の判断が正しかったかどうか現時点では判りません。それはどちらでも良いことです。正しければ、その後も自分で考えながら勉強していくことができます。塾に通う往復の時間を有効に使うこともできるでしょう。失敗したなと思ったら、また戻ってくれれば良いだけです。自分で考えて、他の塾を選択することもあるのかもしれません。
あらゆる手立てで生徒の成績を向上させることだけが塾の仕事ではありません。自分の力で勉強できる生徒を育てることのほうが重要なのではないか。
この生徒のように、「自分で勉強できるようになったので辞めます」、と言える生徒、塾を必要としない生徒を育てることが塾の究極の目標なのかもしれない、と考えさせられた出来事でした。
先日、ある高校生の生徒が退会しました。
「当校に通うようになって、英語の勉強の仕方が分かった。これからは自分で家で勉強できるように思うので、それを実践してみたい。やっぱりダメで戻るかもしれませんが。」
これがその生徒の退会理由でした。
生徒が辞めるのは残念ではありますが、それを聞いた時は妙に嬉しくなりました。
確かにこの生徒は、入会当初は成績も振るわず、何をしたら良いのか全く分からず、こちらがやるべき事を指示して、できたところをチェックして、解っていないところは丁寧に解説して、ということをずっと続けていました。ところが、そのおかげで定期テストの結果がぐんと跳ね上がると、こちらの指示を待つことが減って来ました。自信がついたのが見ていて判りました。席に着くと自分から学習を始め、解らないところを質問するようになってきました。
英語の実力としてはまだまだのところがあることも確かなので、それを話して引き留めるという対応もあったかもしれません。しかし、そうはしませんでした。
「とても良い決断をした。自分で考えて勉強することは、塾に通って成績をあげるよりずっと難しいかもしれないけど、はるかに大切なことだ。自分でその決断をしたことには胸を張って良い。」
そういう話しをして笑顔で送り出しました。
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生徒の成績を上げることが塾の使命ですし、そのためには通い続けてもらうことが重要です。
それが売上に影響することも確かです。
でも、自分の力でやってみようと思う生徒の背中を押してあげることは、それよりももっと大切なことだと思います。
この生徒の判断が正しかったかどうか現時点では判りません。それはどちらでも良いことです。正しければ、その後も自分で考えながら勉強していくことができます。塾に通う往復の時間を有効に使うこともできるでしょう。失敗したなと思ったら、また戻ってくれれば良いだけです。自分で考えて、他の塾を選択することもあるのかもしれません。
あらゆる手立てで生徒の成績を向上させることだけが塾の仕事ではありません。自分の力で勉強できる生徒を育てることのほうが重要なのではないか。
この生徒のように、「自分で勉強できるようになったので辞めます」、と言える生徒、塾を必要としない生徒を育てることが塾の究極の目標なのかもしれない、と考えさせられた出来事でした。